「オトコの夜遊びガイド」は現在11都市をカバーしておりますが、スラバヤとジョグジャカルタの2ケ所は人件費抜きだとしても大赤字なので、今後の改訂は予定しておりません。
マニラも採算的には全く合わないので改訂を躊躇していたのですが、マイルで席が取れたので久々の遠征。
◎回想マカティ
私が足繁くマニラに通い出したのは2003年のこと。
エドコンやブルゴスのGOGOの雰囲気は今も当時とさほど変わりませんが、ブルゴスの入口にあった「新宿ラーメン」がすでに無いのは寂寥感が。
タクシーで「新宿ラーメン」に乗り付けて、腹ごしらえして、さぁ出撃! だったのに。
マカティの高級店「イリュージョン」がクローズしていたのにも寂しさが。
◎回想エルミタ
エルミタでは Red Rooster がクローズ。あそこで出会った尾根遺産、いい娘でした。
再開発で閉鎖予定、とは聞いていましたが、近隣他店は継続営業しているのに。
02年、初めてマニラでの夜遊びに挑戦。
「夜の歩き方」を片手に最初に向かったのは「マニラ・ランデブー」(LAカフェと同類の店)。
あの当時は海外風俗経験値が少なくて、「暗黒魔界」に踏み込んでしまった!みたいな印象でした。
フィリピン料理が口に合わなくて、ランチは「けん太」か、LAカフェ近くのアラビア料理店でした。
そしてランチ後は涼みを兼ねてLAカフェ。
当時のLAカフェは、韓国人とかいなくて日本人もまだ少数派。
白人のたまり場にお邪魔してる、的な。
尾根遺産たちもガッついてなくて、フランス人とサッカー談義に花を咲かせ、アメリカ人にゴチになったり。
GOGOでは、ロハス大通り沿いにあった「CAOS」にもよく通いました。
馴染みの尾根遺産は、ドリンクやチップもねだってこなくて、気立てのいい娘でした。
置屋はスピーディとかジャプラックを覗いて、最終的に牝馬でテイクアウト。あの尾根遺産も、スレてなくてヨカったっけ。
「お客がつかなかったら仕事後においで」とホテルの部屋番号を教えておくと朝の4時頃に来て、一戦交えて、彼女は眠りに。私は仕方なくTV観るだけ。
私が早朝便で帰国するときには、仕事終了後に見送りに空港にも来て。
◎そして、今
他国の風俗を知った今となってはなぜ、あれほどマニラに惹かれたのか、もっと早くジャカルタに行っていたら、とか考えることも。
でも先日、大河ドラマ「真田丸」のなかで、マニラから戻ってきた側室の「たか」がマハル ナ マハル キタと劇中で話していたのを観て、なんか妙に嬉しくて・・・・
やっぱり私の体内には、すでにもうフィリピンの遺伝子が組み込まれてしまっている?のかも。